プロフィール
院長紹介
はじめに経歴を教えてください
はい。昭和45年3月27日に岡山県倉敷市に生まれました。
父の仕事の転勤で福岡県筑紫野市の二日市小学校→大牟田市立銀水小学校→高田町立江の浦小学校を卒業後高田町立高田中学校、福岡県立三池工業高等学校を卒業しました。
どのような少年時代を過ごしましたか?
学業の成績は特に良い方ではありませんでした。 (;^_^
遊ぶことが大好きでしたね。
中学校の部活は「バスケットボール」をやっていました。
入部した動機は当時も背が低く(クラスで1番前)友達に背が高くなるよと誘われて(笑)
2年の時に喘息を発症し、走る事がとてもつらくなり退部しました。(喘息は約1年で完治しました)
高校の時に「弓道」を始めました。
成績も意外と?良く県大会に4~5回は行ったと思います。 段位・参段(三段)
なぜ、治療家になろうと思ったのですか?
私が最初に、整体院を開院しようと思い始めたのは、約15年位前30代前半の頃だったと思います。
その一番のきっかけは私自身の身体の不調です。
元々は私はサラリーマンで全く違う仕事、カメラ店で販売をやっていました。
順調に働いていたある日、首に激痛が走り、起き上がることも、立っていることも辛く、仕事すら困難になりました。
整形外科、マッサージ、接骨院、整体院など色々な治療院に行きました。
でも、少し良くなったかと思うと、またすぐ激痛が!ということを繰り返していました。
この痛みはいつ治るのか?このままずっと続くのか?一生この痛みと付き合わなければならないのか?
そんな事を毎日のように不安に思っていましたね。
そんな時、知人から福岡市の整体院を紹介してもらい、今までの治療院では治らなかった首の痛みが、明らかに軽くなっていきました。
それまでの痛みと不安が減っていき、気持ちに余裕ができると「体の不調がある人を笑顔に出来る!なんてすばらしいのだろう!自分でも技術を身に付けて、人を笑顔に出来るようになりたい!」
と思いがふつふつと湧いてきました。
それから、すぐに開業と言うわけにはいかず、学び始めるまでに約8年かかりましたが、ようやく開業することが出来ました。
そうなんですね。サラリーマンから順調に開業できたんですね。
いえ、順調と言いますか・・・。開業後も苦難はありました。
治せる症状もあれば治せない症状も、まだまだ勉強が足りず、開業後もセミナー、研修、学会での勉強を繰り返し、今現在、最高の技術に出会い、ようやく効果を得られるようになりました。
ですが、今後も整体師である以上、もっともっと勉強し、患者さんのために「もっと改善できる技術。もっと症状を楽に出来る技術。」学び続けて、最高の技術を提供する事が私の使命だと思っています。
まだまだ、私の勉強は終わりません。
おそらく、整体師を続ける限り一生続けます。
なぜ、O脚矯正を始められたのですか?
実は、私も昔・・・いえ、最近までひどいO脚でした。
初めてO脚と自覚したのは中学校の時でした。友達とボウリングに行ったとき、投げる前レーンに立った時に「足の間からピンが見える!」と笑われた時に、自分がO脚だという事を初めて自覚しました。
今から15年位前、整体を始めたきっかけの「首の治療」の時の先生に、「O脚も治りませんか?」と聞いた時「これは手術で治すしかないね」と言われ、その時は完全にあきらめていましたね。
ですが、自分が整体を勉強するとO脚は改善できることを知りました。
しかし、その当時の技術では、治せるO脚の方も治せないO脚の方も・・・。
やはり「餅は餅屋」という事で、日本一のO脚矯正の実績のある先生の「O脚専門のスクール」で学んできました。
話は変わって、プライベートなことを聞きますね。家族はいますか?
はい。妻と子供が3人。それと私の実母と同居しています。
長男(中2)長女(小5)次男(小1)で3人共、剣道を頑張っています。
私の休みの日の半分以上は、剣道の試合に連れて行ったりして潰れますね(笑)
でも、楽しいですよ。
趣味は何ですか?
う~ん。最近あまりできていませんが、ドライブと食べ歩きでしょうか?
車は好きですね。
勉強会で、東京や大阪に行ったときに美味しい店を探して食べに行くことも好きです。
最後にO脚矯正でえがおの整体院に行ってみようかな?と考えている方に一言お願いします。
街中で見てもO脚の方はたくさんいらっしゃいますが、比較的簡単に治りそうな方、O脚がひどくなる姿勢を逆にしている方もいます。
O脚に悩んでいたり「O脚は治らない」とあきらめてしまっている方、もったいないです。
治らない・・・そう決めつける前に、まずは診せてください。
O脚に悩んでいる、あなたの力になれれば!そう思っています。